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日本におけるプレシジョンメディシンの普及に向けた現状と展望|保険制度・混合診療など4つの壁

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がんの個別化医療として注目されるプレシジョンメディシン。次世代のがん治療として広まることが期待される一方、日本では一般的ながん治療として広く浸透しているとは言い難いのが現状です。その背景には、複数の制度的・医療的な壁が存在すると考えられます。

日本でプレシジョンメディシンが普及しない4つの理由

プレシジョンメディシンは、患者さん一人ひとりのがんの原因となる遺伝子変異を解析し、その異常に対して分子標的薬を用いて治療を提供するというものです。正常細胞も含めて攻撃する従来の抗がん剤治療と異なり、患者さんごとの遺伝子異常に作用する薬剤を選択するため、有害事象の軽減や有効性が期待が報告されています。

日本では、単に医療技術の問題だけでなく、日本特有の制度や医療現場の構造に起因する複数の壁が存在すると考えられます。本記事では、日本でプレシジョンメディシンが普及しない理由を次の4つの観点から整理します。

  • 保険診療の制約という壁
  • 混合診療禁止というルール
  • 既存のがん診療ガイドラインとの考え方の違い
  • 医師個人への負担集中と認知度の壁

保険診療の制約という壁

プレシジョンメディシンは日本でも保険診療下で実施可能ですが、検査や治療の条件には複数の制約が課されており、これが普及を妨げる第一の壁となっています。具体的には、適用条件・解析期間・使用できる薬剤の3つの制約が存在します。

適用条件は「標準治療終了後・一生に1回」

現在、日本で保険適用される遺伝子パネル検査は、対象が「標準治療が終了または終了見込み、あるいは希少がんのように標準治療がない患者さん」に限られ、さらに「一生に1回しか行えない」という条件が付いています。(いくつかの造血器腫瘍では診断時に可能なので固形がんに限ります)

つまり、比較的早期の段階で将来を見据えて検査を行ったり、治療途中で遺伝子変異の変化を確認する目的で繰り返し検査したりすることができないのです。プレシジョンメディシンは、本来であれば早期から行うほど効果を発揮しやすいと考えられていますが、日本では最後の手段としてしか保険で認められていないという制度的な課題があります。

結果が出るまで2〜3か月かかる

保険診療下での遺伝子パネル検査は、解析結果が返ってくるまでに長い時間を要します。がん組織を用いた検査では解析だけで1か月程度かかり、その後「エキスパートパネル」と呼ばれる専門家会議の開催が必須です。腫瘍内科医、病理医、遺伝カウンセラーなどが集まり、患者さんへの情報返却内容を議論したうえで最終レポートが完成するため、結論が届くまでに2〜3か月を要することも珍しくありません。

遺伝子パネル検査を必要としている患者さんの多くは、すでにステージⅣで標準治療が終了した状況にあります。余命が限られた状況にある患者さんにとって2〜3か月という時間は短くなく、結果が返る前に病状が進行する可能性も考えられます。

遺伝子異常が見つかっても「適用外」で使えない薬剤の壁

検査で遺伝子異常が見つかっても、その異常に対する薬剤が「別のがん種」にしか保険適用されていない場合、日本では使用することができません。たとえば、肺がんの患者さんに対して乳がん用として承認されている分子標的薬が有効と推測されたとしても、保険制度上は投与できないのです。原因となる遺伝子異常が判明していても、結果的に保険診療下で使用できる薬剤がないという状況に至るケースがあります。

2019年6月にがん遺伝子パネル検査が公的保険適用となって以降、累計の検査数は10万例を超えました(2025年4月時点)[1]。一方、3学会合同タスクフォースが2025年6月に公表したブリーフィングレポートによれば、検査の実施タイミングによって治療到達率に大きな差があることが報告されています[1]

【表】検査の実施タイミングと治療到達率の比較

検査の実施タイミング治療到達率
標準治療終了後(保険診療下のプロファイル検査として実施)8.2%
標準治療開始前(先進医療Bでの早期実施)19.8%(1年追跡で22.7%)

検査タイミングの制限が治療機会の喪失につながっており、早期実施を可能とする制度設計が課題とされています。

※先進医療Bとは、国が将来の保険導入の可否を評価している先進的な医療のうち、未承認・適用外の薬や医療機器を用いる、あるいは安全性・有効性を特に慎重に確認する必要があると判断された技術。厚生労働省が認めた限られた医療機関で、厳格な研究計画のもとに実施される。

混合診療禁止というルールと自費診療

保険診療の制約を超えてプレシジョンメディシンを実施しようとする場合、もう一つの壁となるのが「混合診療禁止」という制度です。混合診療とは、同一疾患に対して保険診療と自費診療を同時に行うことを原則認めないルールであり、日本独自の医療制度の一つです。

たとえば、胃がんの患者さんに対して、保険適用が乳がんにしかない分子標的薬を自費で投与したとします。この場合、薬剤費だけが自費になるわけではなく、当該の薬剤に関連する診察、血液検査、CT検査、副作用対策、入院治療まで含めたすべての医療行為が自費扱いとなる仕組みです。同じ疾患の治療として一体不可分とみなされるためです。

このため、保険診療を行う医療機関では、混合診療禁止のルールに抵触するリスクを避ける観点から、適用外の分子標的薬による治療には積極的に関わりにくい構造があります。患者さんにとっても、経済的負担の範囲が薬剤費以外にも広がるため、検討のハードルは決して低くありません。

一方で、すべてを自費診療として実施する場合は、保険適用上の縛りを受けずに分子標的薬を選択できる余地があります。日本では一部のクリニックなどで、自費診療を前提としたプレシジョンメディシンが提供されており、保険診療下では実施できない検査タイミングや薬剤選択にも対応できる点が特徴です。ただし、保険適用外となるため費用面の負担は大きく、検討にあたっては医師や家族と十分に相談する必要があります。

既存のがん診療ガイドラインとの考え方の違い

プレシジョンメディシンが広まらない3つ目の壁は、従来のがん治療の考え方との根本的な違いです。従来のがん治療は「どの臓器にできたがんか」を起点に標準治療が組み立てられてきましたが、プレシジョンメディシンは「どの遺伝子異常が起きているか」を起点に治療を選びます。この発想の転換が、日本の医療現場ではまだ十分に浸透していないと考えられます。

従来型エビデンスでは捉えにくい個別化医療

プレシジョンメディシンは、患者さんごとに異なる遺伝子異常を対象とするため、大規模臨床試験による従来型のエビデンスを構築しにくいという特徴があります。胃がんだけでも数百種類の遺伝子異常パターンがあり、それぞれに対して何百人規模の試験を実施することは現実的ではありません。そのため、従来の「エビデンスベースドメディスン(Evidence Based Medicine)」の枠組みでは捉えにくい医療であると言えます。

「臓器別」から「遺伝子異常別」への発想転換

従来のがん治療は、胃がんなら胃がんの標準治療、肺がんなら肺がんの標準治療というように、臓器ごとにガイドラインで治療法が決められています。これに対しプレシジョンメディシンでは、たとえば胃がんであっても肺がんと同じ遺伝子異常がある場合は肺がん用の分子標的薬が有効と推測されるケースがあり、臓器の枠を超えて遺伝子異常に応じた薬剤を検討します。従来の臓器別医療の概念を大きく組み替える考え方であり、医療現場にとってまだ馴染みが薄い分野であると思われます。

【表】従来のがん治療とプレシジョンメディシンの比較

観点従来のがん治療プレシジョンメディシン
治療選択の起点臓器(胃がん/肺がんなど)遺伝子異常
エビデンスの作り方大規模臨床試験で確立個別最適化のため構築が困難
ガイドライン臓器別に整備済み標準化が進行中
治療の捉え方固定された病気変化し続ける病気

医師個人への負担集中と認知度の壁

プレシジョンメディシンが広まらない4つ目の壁は、医療現場、とりわけ医師側の構造的な事情です。個人輸入における医師個人への負担集中、学会ガイドラインを重視する診療文化、そして所属医療機関による実施の制約という3つの要因が絡み合っています。

適用外薬の個人輸入と医師への負担集中

適用外薬を使用する際、すでに国内で承認された薬剤であれば通常のルートで入手できることもありますが、薬剤によっては海外から医師個人が輸入しなければならないケースも存在します。この場合、医師は厚生労働省への申請を行い、薬剤に関連して何か問題が起きた際の負担を個人で負う形で個人輸入を行う必要があります。

つまり、病院や国に守られているわけではなく、最終的な負担は医師個人に集中してしまうのです。そのため、こうしたリスクを負ってまで個人輸入を行おうとする医師は限られているのが現状です。

学会ガイドラインを重視する診療文化

日本の医療現場では、学会のガイドラインやエビデンスの確立された治療が高い信頼を得る診療文化があります。これは医療の質を均一化し、地域による治療格差を抑えるという点で重要な役割を果たしてきました。一方で、プレシジョンメディシンのようにまだ標準化が進んでいない領域については、医師の認知度が高まりにくく、現場での実施例も限定的になりやすいという課題があります。

所属医療機関による実施の制約

医師個人として実施を考えても、所属する医療機関の運用方針が壁になるケースもあります。保険診療を行う医療機関では混合診療禁止のルール(先に述べた通り)に抵触するリスクから組織として慎重になりやすく、公的な医療機関では保険適用外の治療を施設として実施できないケースもあるためです。結果として、医師個人の意向だけでは実施に至らない構造があると言えます。

プレシジョンメディシンが広まらない理由に関するよくある質問

プレシジョンメディシンの普及状況について、よく寄せられる質問をまとめました。

プレシジョンメディシンは保険診療で受けられますか?

日本では2019年6月から、がん遺伝子パネル検査の一部が公的保険の適用となっており、保険診療下でプレシジョンメディシンを受けることが可能です。ただし、対象は標準治療が終了または終了見込み、あるいは希少がんのように標準治療がない患者さんに限られ、検査は原則として一生に1回という制約があります。また、検査で見つかった遺伝子異常に対応する薬剤が「別のがん種」にしか保険適用されていない場合は、保険診療下で投与することができません。詳細は先に述べた通りです。

プレシジョンメディシンは自費なら自由に受けられますか?

保険診療の制約を受けずに実施したい場合、自費診療として行うことは制度上可能です。日本では一部のクリニックなどで自費診療を前提としたプレシジョンメディシンが提供されており、検査タイミングや薬剤選択の自由度を確保できる選択肢として位置づけられています。ただし、関連する診察・検査・対症療法を含むすべての医療行為が自費扱いとなり、費用面の負担は決して小さくないため、医師や家族と十分に相談することが望まれます。

海外ではプレシジョンメディシンは普及していますか?

プレシジョンメディシンの発祥は米国で、2015年にオバマ大統領が発表した「プレシジョン・メディシン・イニシアチブ」が普及の契機となりました。米国ではがんと診断された段階で遺伝子検査を行うことが一般的な医療となっています。3学会合同タスクフォースのレポートでも、米国をはじめとする諸外国では遺伝子パネル検査の実施タイミングに制限がなく、治療開始前または早期の検査が推奨されていると報告されています[1]。日本との運用差が課題として指摘されています。

プレシジョンメディシンの普及に向けた現状と展望

プレシジョンメディシンは技術そのものがすでに実用段階に入っており、日本においても普及拡大が期待される医療分野です。制度的な課題は残されているものの、技術革新と制度見直しの動きが並行して進んでいます。

リキッドバイオプシーとAI(人工知能)

遺伝子解析技術は急速に進歩しており、特にリキッドバイオプシーの登場により、患者さんへの身体的負担を最小限に抑えながら、短期間で遺伝子情報を取得できるようになりました。

また、近年ではAI技術の活用も進んでいます。遺伝子パネル検査では膨大な数の遺伝子異常が検出されますが、その中から本当に治療標的となる遺伝子を選び出す作業は複雑です。AIによる解析支援が進むことで、過去の症例データや論文情報を統合しながら、より精度の高い治療選択が可能になると考えられています。

学会レポートが示す将来像

制度面でも、変化の兆しが見えています。2025年6月に日本癌治療学会・日本臨床腫瘍学会・日本癌学会の3学会合同タスクフォースが公表したブリーフィングレポートでは、現行の制度・運用に関する12の課題と将来あるべき姿が示されました[1]

特に、検査の実施タイミング制限の撤廃や、コンパニオン診断とプロファイル検査を一つの検査として扱う制度設計など、治療到達率を高めるための具体的な提案が含まれています。第4期がん対策推進基本計画にも「必要な患者が、適切なタイミングでがん遺伝子パネル検査等及びその結果を踏まえた治療を受けられるよう、既存制度の見直しも含め検討する」と明記されており、政策面でも見直しが進んでいます[1]

まとめ

プレシジョンメディシンは、従来の「臓器別がん治療」から「遺伝子異常別治療」へと、がん医療の考え方を大きく変える可能性を持った医療です。日本では現在も保険診療の制約・混合診療禁止・診療文化・医師個人への負担集中という4つの壁により過渡期にあるといえますが、技術革新と制度整備が進めば、より多くの患者さんに届く医療へと発展していくことが期待されます。

【参考文献】

  1. [1] 日本癌治療学会・日本臨床腫瘍学会・日本癌学会「次世代シークエンサー等を用いた遺伝子パネル検査に基づく固形がん診療に関するブリーフィングレポート」3学会合同ゲノム医療推進タスクフォース/ワーキンググループ(2025年6月11日)
    https://www.cancer.or.jp/uploads/files/briefing_report.pdf

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